かわりめ

先日久しぶりに生で落語をきく機会がありました。
ほんの一席、20分程度。
落語というのはまあ座ってきいて笑っていればいいのだから、本当に気楽なものですよ。

演目は古典落語のお酒の噺。
日本はお酒に酔うことに寛容ですから、どなたでも常日頃からいろんな酔っぱらいを見ています。
だから落語で昔の酔っぱらいを見ても大概ぴんとくるものがあるものです。

その日は「替り目」という噺をききました。
酒好きで酔っぱらったご亭主が自宅の前まで帰って来て車屋さんを拾ったり、帰宅すれば女房相手にやりとりになっていないようなやりとりを延々繰り広げます。
酔った勢いで奥さんをさんざんけなし、酒の肴におでんを買いに行かせるのですが、1人になったら急に泣き上戸、どんだけ女房が大切か感謝してるかとこぼしていたら、奥さんまだ出かけていなくてその様子をみていましたとさ♡
という結局ホッコリいい噺なさげで終わります。

寄席やCDでも何度かきいた噺ですが、終わった後の心持ちが本当に良い好きな噺です。

でもタイトルの「替り目」が一体何の意味なのかわからないんですね。どこにも出てこない。
そこは詳しいお方に聞いてみます。
すると、なるほど本当はこの噺、先があってまだ他の登場人物がいて、うどん屋さんにお燗させたりいろいろあるそうな。本当のさげでお銚子の替わり目という言葉が出てくるんだそうです

寄席の持ち時間や噺の切りで、奥さんの下りで終わらせる流れを、昭和の名人志ん生師匠が取り入れたんだとかなんだとか。
今はこのパターンが多いのか、私は全部きいたことありません。
落語の噺ってこういうことけっこうありまして、寄席でも時間ないとサッと終わらせてしまうこともよくある。
これなんて、タイトルの意味に行き着いていないのに、いい噺で面白いんだからそのまま良し。
形があるんだけど限りなく自由で変化も許される、ように見える。
それが落語の気楽さなのか、同じ噺でもまたききたい。
やる側は気楽なんてものじゃないんでしょうが。

伝統あるものにたずさわる事には共通する部分がいろいろあります
経絡治療も日本の伝統鍼灸ですが、脈をみて証という診断を立て治療をするという形の中にもそれだけではないいろいろな見方を含んでいます。

こちらの世界も昭和の名人がいて、話を読むたびに、こうなんだけどこういう事もあるんよ、という融通性を発見するのです。
融通をきかせるにはそれだけの幅を自分のものにしなければなりません。
やはり何かひとつ精通しようと思ったら一生お勉強ですね。

そして、煮詰まったら落語を友に気楽に笑う、これオススメです。